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山林を潰してまで、立派な墓を建てる異常さについて
立派な石を積み上げることが供養だという価値観は、そろそろ限界に来ていると感じます。私は自分の仏壇を自作しようと計画していますが、選ぶ素材もできるだけ環境に負荷をかけないものにしたい。山を削ってまで手に入れた広大な墓所が、数十年後には管理しきれず荒れ果てていく様子を見ると、それはもはや故人への敬意ではなく、ただのエゴに思えてなりません。重厚な石材にこだわるよりも、生活の延長線上にある小さな祈りの場を自分で整えるほうが、よほど現代的な死生観に合っているのではないでしょうか。自然を壊してまで形を残すことよりも、自然の一部として消えていけるような仕組みがもっと普及すべきです。
かつては立派な墓石を立てることが家系の誇りのように語られましたが、今はその維持管理が子供世代の大きな重荷になっています。わざわざ自然を破壊してまで巨大な石を据えるやり方は、今の時代にはそぐわないでしょう。私自身も、子供に高額な管理費や法要の手間をかけさせたくない一心で、これからの供養の在り方を見つめ直しているところです。先祖を敬う気持ちは大切ですが、それが環境に負荷をかけたり、次世代の生活を圧迫する理由になってはいけません。目に見える石の大きさよりも、子供たちが無理なく思い出してくれる関係性を築くことこそが、親としての最後のつとめ、、だと考えています。
定年を迎え、退職金の使い道を考えた際に立派な墓石の建立を検討しましたが、結局は白紙に戻しました。造成してまで山を削り、コンクリートで固めた区画を確保することに、どうしても納得感が持てなかったからです。先祖代々の土地を守るという名目であっても、後世に不自然な人工物を残すことが本当に供養になるのかという疑念が拭えませんでした。私は、むしろ自然の循環の中に静かに還っていく形の方が、現代に生きる私たちが選ぶべき誠実な道ではないかと考えるようになっています。無理に土地を加工してまで石を据える行為は、故人のためというより、生きている側の見栄やエゴに近い側面があるのかもしれません。
親が遺した着物や貴金属の処分に追われ、さらにそこに付け入るような悪徳業者とのやり取りで心身ともに疲弊した経験からすると、形あるものを大きく遺すことのリスクを考えずにはいられません。山を切り開いてまで巨大な石碑を建てる行為は、今の時代、敬意というよりも後に残る者への「重荷」を押し付けているように映ります。自然を犠牲にして築いた立派な墓も、管理する人間がいなくなればただの荒れ地となり、周囲の環境を損なうだけです。故人を想う気持ちは、必ずしも物理的な大きさや、環境への負荷と比例するものではありません。次世代に何を引き継ぐべきか、その本質を見失っている今の墓石文化には強い違和感を覚えます。
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